小学校6年の時、卒業文集とともに卒業研究というのをやり(やらされ)ました。
で、研究といえばやっぱり電車ネタでしょ、となって、
江ノ電の各駅の沿革を調べて発表しようと。
ただ文章だけ描いたのではつまらないから
得意の「絵」で各駅を描いたらいいんじゃないか。
描くには元になる資料が必要だ。写真を撮りに行こう。
修学旅行で写真を撮る楽しさに目覚めた僕は両親にそう相談したのです。
こうして親父と同級生の中丸君も一緒に、自転車で各駅の写真を撮りに行く事になりました。
写真をもとにケント紙に絵を描いたまでは良かったけど、肝心の卒業研究本には
紙数の都合で絵が載せられず、「絵で見る江ノ電の各駅研究」という
タイトルは意味不明なものになってしまいました。
で、20数年経っていま、その時の写真を見てみるとこれが面白い訳ですよ。
1989年当時の各駅が、ヘタクソなりにもぜんぶ写してあるから記録として成り立ってる。
思えばいまの記録の残し方のベースになってる感すらあります。
でもこれをただ並べただけでは能がない気がするので、
運動がてら現状を撮影してきました。
1989年10月10日の江ノ電と、2016年3月2日の江ノ電。
何が残ってて、何が変わったんだろう。
■藤沢

現在も独特な雰囲気はそのままながら、当然細かいとこが変わってます。
自動改札、点字ブロック、ホームの転落防止柵。
サイン類も専門の看板屋さんがつくった味のあるものから
その辺のデザイン屋さんがパソコンでちゃっちゃと作った様な
安っぽいものになっちゃった。これは世の中全体的にそうなっちゃった。
■石上

バリアフリー対応で、ホームの出入り口が階段からスロープに。
それに伴い停車位置が藤沢方に移動し、踏切からアップで撮れた顔が
今は撮れません。元より交通量多いからやめましょう。俺も通るしw

空地だった背景も、おうちとか喫茶店に変わりました。
■柳小路

両持ちだった架線柱が片持ちに変わってる!
89年当時、ここの線路用地の右側部分は通行が黙認されていた箇所で、
自転車を押して通ったり(乗れる様な状態ではなかった)してる時に
電車が来ちゃうと、眼前を車体が通過する様な状態で、
今から10数年ほど前、フェンスを設けてきちんとした通路に生まれ変わりました。
おそらくその時に片持ち式に変わったんだと思います。
左側にはいくつか商店が並んでましたが、いまはほとんど住宅になりました。
■鵠沼

腰越の併用軌道から持って来たと言われる石畳は撤去され、アスファルト舗装に。
雨の日とかけっこう滑りやすかったので仕方ないのかもしれません。
ちょうど写らない画角で、写真の左側付近にバリアフリー対応のスロープと
エレベーターが設置されて、往時とは趣きが大きく変化しています。
店の前を通路で塞がれた奥の店の自販機の売上が心配w
■湘南海岸公園

けっこうおうちが建て変わってる筈なんだけど、雰囲気は変わってない。
駅舎も基本的にそのままながら、一部の窓がキレイに埋めてあったり、
柱の方杖を隠す様に板を張り込んでそういうデザインに見せたりして
古く見えない様にしてるみたいです。いいかどうかは別にしてw
他、踏切の遮断機が両開きから片開きの長いのに変更されてます。
■江ノ島

89年当時は、改札口が北側にありました。
いま思うと、広さ的にも保安面でも現状の南側の方がいい様な気がするんですが、
どんな事情があったんでしょうか。まず龍口寺からお参りせよという事なのか?
昔から観光客も外人さんも多い場所です。いまは台湾や中国の人が多いです。
こんなちまちました乗り物は大陸にはあるまいw
売店を覗いたら、4Rとエルガのバスコレがまだ売られてました。
■腰越

89年当時はホームが2両分しかなく、さりとて併用軌道側にはみ出して
電車を止める訳にも行かないので、4両編成では鎌倉方の2両について
扉を締切扱いとしていました。このため湘南海岸公園→江ノ島とか
七里ケ浜→鎌高前ではいちいち肉声で長ったらしい案内をしてました。
その後藤沢方の踏切を潰して3両対応化したので、案内がやや簡略化されました。
で、定点撮影となると困ったもので、当時と同じ藤沢行では撮れず、
鎌倉行が出て行くシーンでなんとか、という具合。
踏切の跡地には小さな廃道があり、停止線がまだ残ってました。
■鎌倉高校前

架線緊張装置の柱の位置と、国道134号の標識の位置と枚数が変わったぐらいで、
大きな変化はない様です・・・事務室の窓配置とかも変わってるのかな?
聞いてはいましたが、スラムダンクの影響で台湾からの観光客が平日でも多いですw
■峰ヶ原信号所

背後のおうちが変わった程度で、電車の色も奇跡的に変化ありませんw
ミルカチョコ食べたい・・・(´°ω°) もう売ってないのかな?
■七里ケ浜

入口のスミにRのついた、500形とお似合いのかわいい駅舎だったんですが
建て替えられ・・・ていうかよく見たら撤去されただけっぽいなw
やっぱりバリアフリーの関係なんだろうけど、
なんだか風通しの悪そうな駅になっちゃいましたね。残念。
ここも藤沢方に出入り口が増設されてました。
■稲村ヶ崎

今まさにバリアフリー対応工事中で、停車位置も鎌倉方に寄せられ、
当時と同じ画角だとぜんぜん電車が入りません。よって、少し画角を変えて
電車入りの写真も撮りました。古レールを加工した柵が当時と同じ姿で残ってました。
かっこいいです(´ω`)
■極楽寺検車区

上物建て替えただけかと思いきや、線路配置もまるまる変わってるんですね。
この狭い構内で、日常業務をこなしつつどうやって線路配置まで変えたんだろうw
木造の頃は何度かお邪魔しましたが、建て変わってからはお祭りの時しか行ってません。
なんか勝手に入っちゃいけない様な気がして。
「踏板の上で撮影しないで」と看板があったので、渡った所から撮ったので画角が違います。
何もかも違うから、それでいいやって感じ。
■極楽寺

基本的な構造に変化はないんですが、全体的に「山間」のムードが薄まった様な。
青梅線から久留里線になったぐらいの違いを感じます。
背後の木が少なくなったし、時期的なものもあるのかもしれません。
やっぱりスロープができていて、嘘くさい郵便ポストの位置が変わってますw
ベンチは89年当時から明治製菓の提供です。
■長谷

なんだか2枚ともヘンな画角ですが、当時も今も人が多くて撮り辛いw
しかしこの駅舎の持つ「地方私鉄のちょっとした駅」っぽさは嫌いではありません。
観光地なのに100均の看板がデンと掲げてあったりするのがイイ。
89年当時もなんだかよくわからない鳩の看板があります。
関係ないですけどここの踏切、車で通るたびにどこが踏切だか一瞬判らない。
警報機の存在が周囲に溶け込んでいて、非常に薄いのです。ちょっとあぶない。
■由比ケ浜

駅名標もしかしてそのままかしら?と思ったけど見比べたら別物でしたw
でも同じデザインと言っても差し支えなさそうな出来で、懐かしさを覚えます。
やはりスロープができてますが、雰囲気はそれほど変化していません。
駅前の道には横須賀水道半原線が通っていて、抜け道として利用価値が高いので
道幅のわりに交通量がわりとあって、ちょっと写真が撮り辛いんですが、
踏切が鳴って構えてたらおばさんの軽が手前で停まってくれました。
右隣の店チャーハン高かったです。鎌倉は変な店多い。
■和田塚

自分が唯一撮った306(356)の写真です。この深海魚みたいなヘンテコな顔と、
黒っぽい駅名標が印象的な一枚、いま撮るとどうなるんだろうと思いましたが、
こうなりました。なんだかさわやかw
1200、1000形シリーズとしては最後の方向幕車になっちゃいましたね。
右側背後の小さい窓がついたおうちがいかにも湘南ぽくて気になってたんですが、
残念ながらありませんでした。
■鎌倉


鎌倉駅の裏口、もとい西口です。
基本的には変わってませんが、やっぱり駅名標とかこうなっちゃうんですね。
味気ないとされた国鉄時代のデザインですが、今の方がよっぽど。
って思っちゃいますねぇ。なんか描いてありゃいいってもんじゃないんだよ。
89年当時はこのあと、何故か小坪まで連れて行かれて、
海沿いを通って帰った様です(峰ヶ原は本当は帰りに撮ったらしい)。
いまのぼくは大仏・深沢経由で。

あ、江ノ島駅で売ってたやつ(´ω`)